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時をこえる
100 YEARS HISTORY
1925年の創業以来、日本冶金はものづくりに真摯に向き合い、技術開発や生産体制の革新を積み重ねてきました。その技術と想いは時をこえ、未来を切り拓く原動力となっています。
1942年 川崎工場(現川崎製造所)
1925~1949
ステンレス鋼メーカー
としての出発
消火器メーカーとして設立後、当社は軍需で業容を拡大し、さまざまな事業の中からステンレス鋼に注目した。
1925
中央理化工業(株)として設立、
事業内容は消火器の製造販売
当社は1925年8月、中央理化工業(株)の名称で設立。1923年に発生した関東大震災の教訓「初期消火の大切さ」から、消火器製造販売を事業目的に、火薬代用ガス発生剤を開発して特許を取得し、その技術を用いて独創的なピストル型消火器を全国に販売した。
1928
日本火工(株)と社名変更

高度な火薬類似品の技術に日本の軍部が注目し、協力を要請された中央理化工業(株)は火薬類の販売を始める。1928年には日本火工(株)と改称し、事業目的を煙火の製造および行政官庁委託加工品製造販売、火薬類の販売へと変更した。
中央理化工業(株)のその後
従来の消火器事業部門は分離し、当社とは別資本の企業として「中央理化工業」の名称を継承。現在に至るまで事業を継続している。
1933
事業拡大に向けて森コンツェルンの傘下に
火工品(火薬を充填加工し製品化されたものの総称)の需要に応えるには大がかりな設備投資が必要で、資金を確保するために日本火工(株)は新興財閥の森コンツェルンの傘下に入り、森矗昶(のぶてる)を社長に迎える。

実業家・森矗昶
森矗昶は大正から昭和初期にかけて数々の事業を興し、「電力と化学の結合」と言われた電気化学工業の分野を開いた実業家。城山三郎の小説「男たちの好日」のモデルにもなった人物である。
1934
川崎作業所(現川崎製造所)の建設開始、
大江山ニッケル鉱山の試掘開始
業容が拡大したことから1934年、川崎市大師河原に川崎作業所を建設。自国産業の育成のためにも国産体制の確立が急務だった時代背景のもと、ニッケルの国産化を目指した森は、京都府の大江山連峰にニッケル鉱床を発見。ニッケル鉱石の試掘を開始する。

1934年川崎作業所建設予定地
1935
ステンレス鋼の初出鋼
冶金(鉱石その他の原料から有用な金属を採取・精製・加工すること)事業は、当時、産業の国家統制を強めた日本において国からも奨励された業種で、成長が見込まれていた。日本火工(株)も合金の開発に取り組み、大江山のニッケル鉱山試掘、川崎作業所での超ジュラルミンの開発、溶解から熱処理まで各工場の建設を経て、1935年10月25日、ステンレスの初出鋼を果たす。

製品第1号は「おかめの面」
1935年、当社は川崎作業所の合金工場で、ステンレス鋼を初出鋼した。
地元、川崎大師門前の出店で買い求めた「おかめの面」を木型の代わりに用いて砂型をつくり、そこに溶解した18-8ステンレス鋼を注いだ。そうしてできた18-8ステンレス鋼製の「おかめの面」が当社の製品第1号である。
1939
川崎工場(現川崎製造所)完成

特殊鋼の需要急増を見越して、本格的な冶金事業を担う設備を備えた工場を建設、この頃に川崎作業所から川崎工場に名称を変更した。
1939
社章の双輪マークを制定

双輪マークの意味
当社の社章は1939年に制定され、今日まで引き継がれている。二つの輪を結んだ双輪マークは、世の中のものはすべて一つでは成り立たず、自他の共栄結合であるとの考えを表している。
1942
日本冶金工業(株)に改称
火工品ではない製品の割合が増え、冶金が中核事業になったことを受け、社名を変更する。

火工品事業部門のその後
火工品事業部門は分社化され、当社グループ会社として存続。1999年に当社グループから離れ、現在も日本工機(株)の名称で事業を継続している。
1942
岩滝製錬工場(現大江山製造所)が
竣工、
フェロニッケルルッペの生産に成功
大江山のニッケル鉱石を原料として、クルップレン法というロータリーキルン(回転炉)を用いたフェロニッケルルッペの生産に成功した。ルッペとはドイツ語で粒鉄を意味し、鉄とニッケルの合金を粒状にしたものである。
1943
川崎工場を川崎製造所に改称、
岩滝製錬工場を岩滝製錬所に改称

岩滝製錬所竣工式典
1945
終戦により生産活動停止
1946
川崎製造所民需転換認可、
岩滝製錬所民需転換認可
1948
岩滝製錬所を大江山製造所に改称
1949
東京・大阪証券取引所に株式上場
1966年 熱延工場プラネタリーミル
1950~1992
ステンレス鋼一貫生産体制の確立
戦後、当社はステンレス鋼専業メーカーとして体制を確立。経営危機を乗り越えて高生産性・高機能を目指した。
1950
ステンレス鋼量産化の端緒となる
酸素製鋼法に国内で初めて成功
当時は誘導炉による少量生産が一般的だったが、1950年に当社は国内で初めてステンレス鋼の酸素製鋼法※に成功。使用できる原料の種類が大幅に増えたこと、および容量の大きいアーク炉による大量生産化が製造コストの大幅な低減につながり、増大するステンレス鋼の需要にも応えることが可能となった。
※溶鋼中に酸素ガスを吹き込み、酸化熱により溶鋼の温度を急速に上昇させ、金属分の酸化を抑えながら、短時間で脱炭を促進させる精錬法
1956
川崎製造所に
中央研究所(現技術研究所)を設立

当時、独立した研究所を持つ企業は少なく、同業他社ばかりでなく他業種の企業からも注目された。
1959
川崎製造所での
合金鋼・炭素鋼の生産を停止して
ステンレス専業メーカーへ
1960
NAS鋼製品商標登録

国内外での知名度向上を目指した
商標登録
「NAS」は当社の規格名および製品名に冠しているブランド名称である。NASの呼称は1936年にステンレス鋼の生産を開始したとき以来のもので、現在も使用されている。
NIPPON-YAKIN(ニッポン-ヤキン)
AUSTENITE(オーステナイト=ステンレスの代表的な組織)
STAINLESS STEEL(ステンレス スチール)
の頭文字をとっている。
1962
30t電気炉の操業開始

酸素製鋼法を発展させたもので、当時のステンレス鋼専業メーカーでは初の大型電気炉だった。
1966
プラネタリー熱間圧延機
(プラネタリーミル)操業開始
プラネタリーミルは、特殊鋼の分野では当社の設備も含めて世界に3台しかない特殊な熱間圧延機であり、その量産能力の高さから、日本国内でも注目を集めた。プラネタリーミルの導入によって、当社はステンレス鋼の一貫大量生産体制を構築した。また、プラネタリーミルの完成を機に、ホットコイルの長期大量輸出に成功し、一時は日本のステンレス鋼の輸出総量の24%を当社が占めるまでに拡大した。
1968
需要増に応えるべく生産能力を拡大、
60t電気炉の操業開始

1976
経営体制の刷新
1971年のニクソンショック、1973年の第一次石油危機により景気が低迷し、当社の業績も悪化。低成長時代に対応した経営戦略の立て直しと企業体質の改善が求められ、経営陣が刷新される。会社再建3カ年計画を発表。
1977
アルゴン酸素精錬炉(AOD)※
操業開始
それまでの精錬方法は、原料に良質のフェロクロムを必要としたが、AODでは炭素を多く含む原料を脱炭できるため、安価で低質な原料も使用できる。またクロム収率も高く、工程もシンプルであったため、電力使用量の低減や操業時間の短縮にも貢献。この技術改革は、当時、業績悪化に苦しんでいた当社の再建に大きく寄与した。
※溶鋼に酸素とアルゴンガスを吹き込んで精錬する炉
1979
1976年からの会社再建3カ年計画を
1年遅れて達成
1988
高精細シャドウマスク向けNAS36開発

ヒット製品NAS36
低熱膨張合金NAS36は、ブラウン管テレビのシャドウマスク材をはじめとして需要を伸ばし、業績に大きく貢献した。
1989
世界初のコンバインドCAP
(当社呼称:5AP)操業開始
製鋼以降の下工程においても生産能力強化や対応鋼種拡大に対応するため、焼鈍酸洗機能と次工程の調質・矯正機能を合体させた世界初の生産ラインであるコンバインドCAP(当社呼称:5AP)操業開始。これにより工程間リードタイムが大幅に短縮され、生産性が大きく向上した。
1996年新熱延工場竣工式
1993~2005
経営危機から高機能材の強化へ
バブル崩壊後の不況下、海外での競争激化を背景にステンレス価格が低迷。深刻な経営難に陥った当社は、金融支援を取り付けつつ高機能材に活路を求めた。
1996
新熱間圧延機(当社呼称:NCH)
操業開始
海外のステンレスメーカーが攻勢を強めるなか、多様化する顧客の要望に対応するには、従来のプラネタリーミルでは限界に近づいていた。
ステンレス鋼の専業メーカーとして事業を継続するために、製品の品質を高めることが必須であると判断し、コイルと厚板プレートの両方の生産を可能にする新熱間圧延機(NCH)を導入。ステンレス鋼から高機能材までの製品群の多様化を実現し、後に当社の高機能材事業に少量多品種生産という独自の強みをもたらした。
1998
「中期経営改善計画」策定
長引く不況下にあった1990年代後半、NCHの導入に資金を投じた当社の収益は深刻なまでに悪化。1998年10月に中期経営改善計画を策定し、販売量に頼らず収益を確保するために、構造改革に踏み切る。
2002
当社の技術論文が米国鉄鋼協会の
ジョン・チップマン賞※を受賞

「合金に最終的に求められる特性に応じて合金中に分散する非金属介在物を無害化する制御技術」に関する論文で、特殊鋼メーカーでは世界初の受賞だった。
※ジョン・チップマン賞は、MIT(マサチューセッツ工科大学)の鉄鋼精錬学の権威であったジョン・チップマン氏を称えて制定された表彰制度であり、鉄鋼技術の向上に貢献し、学術的・工業的に優れた技術開発に対して贈られる。
2002
波崎桟橋(茨城県神栖市)にて
高耐食スーパーステンレス鋼NAS254N、
NAS185Nの暴露試験開始

20年以上にわたる腐食試験
当社は2002年から港湾空港技術研究所と共同で、スーパーステンレス鋼の実暴露試験を継続している。スーパーステンレス鋼は、クロム・ニッケル・モリブデン・窒素を多量に含有させたステンレス鋼高機能材で、海洋鋼構造物など極めて厳しい環境下に置かれる構造物の建設に使用される。こうした長期間の試験によるデータの蓄積が、今日の技術基盤につながっている。
2002
「中期経営再建計画」公表
1998年から4年にわたる経営努力をしたものの、競争環境は依然として厳しく、このままでは企業の存続が危ぶまれる状況と判断し、2002年10月に「中期経営再建計画」を公表。この計画のもと、当社は2003年3月に銀行から債務免除と債務株式化の支援を受け、かつ産業活力再生特別措置法の認定を取得した。
2003
上海事務所開設、海外市場の販路を開拓
当時、海外の高機能材市場は欧米メーカーでほぼ占められていた。当社は後発で参入を果たすため、商社からの情報提供のみに頼らず、自社拠点を自らの判断で開設。自力で現地企業を回ってマーケットを開拓し、各地の高機能材ニーズを掘り起こした。
2003
川崎製造所、大江山製造所をそれぞれ(株)YAKIN川崎、(株)YAKIN大江山に分社化

分社化した際の広告デザイン
2003
高機能材の月間輸出量が、
2000年の100倍以上の1,500tへと拡大
2005
「中期経営再建計画」を1年前倒しで達成
財務リストラと事業戦略の断行、多くのスケークホルダーの多大な支援・協力、さらにはステンレス業界の再編による収益環境の健全化もあり、2005年に予定よりも1年早く計画を達成した。
2024年 4HZR
2006~2025
高機能材メーカーとして
持続可能な社会に貢献
経営再建から20年。
当社は世界に通用する高機能材の生産・販売体制を確立し、持続的に成長する企業として社会に貢献し続けている。
2008
精錬設備を新AODに更新
それまでほとんどVOD精錬(真空精錬)だった高機能材をAOD精錬(大気精錬)でできるようになり、その機能を活かした操業技術開発によって操業時間の短縮、多連鋳化、極低硫黄化、低窒素化につなげたことで、コストダウン・品質・生産性の向上を実現し、製品の競争力を高めた。
2008
バンコク、ロンドンに駐在員事務所を開設
2010
(株)YAKIN川崎、(株)YAKIN大江山を吸収合併
分社化前の名称である川崎製造所、大江山製造所に改称
2011
シカゴ現地法人を開設
2011
上海の駐在員事務所を
日邦冶金商貿(上海)有限公司として
現地法人化
2012
ロンドンの駐在員事務所を現地法人化
2015
高機能材用スリッターラインを新設
2018
南京鋼鉄との合弁会社
南鋼日邦冶金商貿(南京)有限公司営業開始

南京鋼鉄は中国の大手鉄鋼メーカーである。中国などでの大規模プラント建設の増加を踏まえて、短納期化、超広幅化のニーズに対応することで、高機能材の販売を強化する狙いがあった。当社の国内設備では対応できない超広幅プレートの熱間圧延加工について、南京鋼鉄の保有する広幅圧延機を使用し、さまざまな高機能材の超広幅プレートの製品化に成功している。
2022
新電気炉(当社呼称:E炉)に更新
炉体旋回装置(スクラップの不均一な溶解を解消し、効率の高い操業を実施)、および電磁攪拌装置(炉内の均一攪拌により溶解スピードアップと温度・成分の均一化を実施)を融合させた最新鋭の技術によりエネルギー効率を高め、大幅なコスト削減を図ることが可能となった。炉本体に大きな囲いを設けることによる集塵・防音効果の向上や、炉前作業の自動化による作業環境の改善も実現した。
当社呼称である「E 炉」は、新電気炉の特徴を示す3つの英単語の頭文字Eを一つにして表記したものである。
Electric arc furnace with high efficiency, energy saving and environmental improvement(高効率、省エネ、環境改善に配慮した電気炉)
2023
川崎製造所薄板工場に
冷帯用スリッターラインを新設
高精度のスリッターで多様化・高度化するニーズに応えるとともに、自動省力化を進めて操業の作業負荷軽減と生産能力向上を図った。
2024
川崎製造所薄板工場に
新冷間圧延機(当社呼称:4HZR)を導入

圧延機への通板作業を容易にし、設備トラブル時の処理作業時間も短縮。また、圧延時の反力の測定を可能とし、自動制御機能と組み合わせることで操業負荷を大きく改善した。
2025
川崎製造所内に水素試験場を新設予定

環境・エネルギー領域の
技術開発を強化
高機能材は、脱炭素およびサステナビリティへの世界的気運を受けて拡大するGX関連市場において、さらなる成長が見込まれている。当社は、特に水素関連の領域に注目し、水素関連分野での技術強化を推進している。この試験場は、水素ガスや液体水素環境下での材料評価ができる装置を備える予定である。

日本冶金工業株式会社は2025年、
創業100周年を迎えました。
ともに歩み、支えてくださった皆様への
感謝を胸に、
これからも未来へつながる
価値創造に挑戦し続けていきます。